会津若松城
〜 奥州随一の名城、白虎隊の悲劇 〜


評価
美観・・・・・
歴史・・・・・
規模・・・・・


写真

会津若松城1 会津若松城2
南走長屋 鉄門 本丸跡 麟閣 荒城の月碑
廊下橋 武者走り 御三階 城より


お城のデータ
訪城日 2003年5月17日 別名 鶴ヶ城
所在地 福島県会津若松市追手町 築城年 1384年
築城者 芦名直盛 主要城主 芦名氏 保科氏
最終石高 保科氏二十三万石 見所 復元天守 石塁 堀
交通 磐越道・会津若松ICから20分 駐車場 あり 有料



お城の歴史
・至徳 元年(1384) 芦名直盛が城を築く。その後芦名氏が代々城主としてつづく。

・天正17年(1589) 伊達政宗が芦名氏を下し黒川城に入る。

・天正18年(1590) 小田原北条氏を滅ぼした豊臣秀吉が、政宗から黒川城を取り上
             げ蒲生氏郷に与える。

・文禄 2年(1593) 蒲生氏郷が七重の天守閣を持つ大城郭を完成させる。その後一
             時は上杉景勝が入るが、関ヶ原合戦後、再び蒲生氏が戻る。

・寛永20年(1643) 3代将軍家光の異母弟である保科正之が入城。3代正容の時、保
             科氏は松平と改称する。その後220年、子孫が城主としてつづく。

・明治 元年(1868) 戊辰戦争において朝敵とされた会津藩主松平容保は、会津城で
             政府軍と戦闘を開始する。しかし、白虎隊等大きな犠牲を出した結
             果ついに開城を決意。この名城も無残な姿になった。

・明治 6年(1873) 若松県の新庁舎が完成し、天守閣が取り壊される。

・昭和40年(1965) 現在の五層の天守閣が復元される。


地図


mapion



訪城の感想
 ここはやっぱり歴史があっていいです。城自体は復元されたものなので少し残念ではあるのですが、ここで戦国時代では蒲生や上杉、江戸末期には白虎隊なんかが活躍したと思うとすごく感動しました。
 またこの会津から少し北に行くと喜多方という場所があります。私はそこで喜多方ラーメンを食べてきたのですが、昔ながらのラーメンって感じですごくおいしかったです。もしこのお城に行くことがありましたら、ついでに寄ってみたらいかがでしょうか?




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